『ライトノベル』の未来とは(3)

コラム

本コラム「『ライトノベル』の未来とは」は三分割しています。
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8『ライトノベル』が好きです

 コラムを公表して一番驚いたのは、「この執筆者は『ライトノベル』が嫌いなのだ」という論調です。あれだけ歴史を調べてちゃんとコラムにまとめた人間を『ライトノベル』嫌いと読むとは、ずいぶんな読解力があったものです。

 私の両親は積極的に読書をすすめる人でした。小さい頃にさまざまな絵本を読み聞かせてくれ、クリスマスプレゼントには必ず本が一冊ありました。本棚には近代文学の全集が置かれていました。「漫画はお小遣いの範囲で買え、でも児童書や辞書なら買ってやる」。そういうスタンスでした。だから『ライトノベル』という世界は、私の日常からは離れた場所にありました。

 それが変わったのは中学生の時。同級生の一人が「『ちょー美女と野獣』が面白いから是非読んで」と貸してくれたのです。

 感動しました。それまで読んできた作品とまるで違う、キラキラした世界がそこにはあったのです。続きが気になって、すぐ友達に「続刊を貸してほしい」とお願いしました。美しいイラストに惚れ込み、自分でも描けないかと鉛筆を握った思い出があります。

 その時、運よく図書館で『本当は恐ろしいグリム童話』という本に出会いました。『ちょー美女と野獣』は私に物語の面白さを伝えてくれたと同時に、そこから別の物語、さらに専門書を読むきっかけを作ってくれたのです。

 物語から現実に興味を抱き、現実から物語へと思考をシフトする。そうすることで困難な日々を乗り越える知恵や勇気を得、日常と戦う元気を分けてもらいました。

『十二国記』から、政治について考えるきっかけをもらいました。
『キノの旅』から、世界には大勢の人がいて、さまざまな考えがあるのだと知りました。
『狼と香辛料』から、経済の複雑さと面白さと教えてもらいました。
『この素晴らしい世界に祝福を!』から、予想外の展開を驚きながらも受け入れ楽しむ面白さを感じました。
『涼宮ハルヒの憂鬱』から、理想から遠い現実だって考え方ひとつで悪くないものだ、と気づかせてくれました。

 そして現在、Web小説投稿サイトに掲載されている作品を日々読ませていただき、個人の持つ世界の面白さと不思議さを教えてもらっています。創作者さんが抱く楽しさ、悲しさ、つらさ、憎さ、怒り、理不尽を、作品を通じて感じ、自分の糧とさせてもらっています。

 私たちはそれぞれ別の人生を生き、違う価値観でもって世の中を見、自分らしく輝こうと日々もがいています。それを知るきっかけを『ライトノベル』は作ることができる。そういうジャンルなはずです。

 ですが、実際はどうでしょうか? 児童文学では0歳児絵本から中学生・高校生向けの書籍まで、年齢に分けておすすめの本を紹介しています。一般書籍なら本にまつわる雑誌が大量にあります。また、作家さんが小説以外にも発信力を発揮し、そこから他作家の作品に興味を抱けるように導線が引かれています。

『ライトノベル』は特定の層にしか波及できていない、というのが私の感じるところです。それが嫌なのか、強引な形で他の分野を圧迫しています。

 もし『ライトノベル』が初心者向け読書として存在するとしたら、なぜ児童文学と一般書籍の橋渡しをするようなアピールを、出版社はできていないのでしょうか? それができていないから、『ライトノベル』は「断絶」されたような状況になっているのではないでしょうか? その結果、市場が縮小しているのではないでしょうか?

 また、「『ライトノベル』とは何か?」で取り上げたように、読解力の低下を危惧しています。これは『ライトノベル』が特定の層にしか影響力を持たないことによる問題でしょう。もし『ライトノベル』が物語を楽しむきっかけを提供する媒体として機能していれば、現在のような状況にはなっていなかったのではないか。そう考えずにはいられません。

9 名興文庫のスタンス

 名興文庫は出版社です。なので『ライトノベル』の古典作品を決めたり、どの作品が『ライトノベル』に分類されるかどうかは決めません。それは『ライトノベル』を愛している人がすべきことであり、出版社として口出しするものではないからです。

 名興文庫が求める作品は下記のようになります。
・娯楽だけで終わらない作品
・メッセージ性のある作品
・新しい発見がある作品
・レーベル担当者の心を打つ作品
 そして名興文庫は『原点回帰』を掲げている出版社です。その原点は人によって違うでしょう。ですが『ライトノベル』という言葉が機能しなくなりつつある今こそ、『ライトノベル』を愛する人には大事な理念になると考えています。

 名興文庫が出版する作品が『ライトノベル』に該当するかどうかは、実際に手に取り読まれた方々が判断してください。

 名興文庫は『ライトノベル』という枠組みにとらわれた発想はしません。特定の人々にだけ届くような物語ではなく、多くの人が読んで楽しいと感じてくれる物語を求めています。それが「娯楽だけで終わらない作品」「メッセージ性のある作品」「新しい発見がある作品」「レーベル担当者の心を打つ作品」だと考えています。

 故に、『ライトノベル』という言葉を残すための具体的な活動はしません。そのことによって『ライトノベル』は消え去るかもしれません。ですが、名興文庫の活動は、多くの人の心を打つ『ライトノベル』かもしれない作品を、後の世にも存続させられる可能性を残すことができます。

 ただし、名興文庫は慈善事業で出版物を決めません。もしあなたが書いている作品が大量生産・大量消費の作品でしたら、名興文庫は出版しません。オリジナリティがある作品を求めます。

 オリジナリティとは何か? それは、あなたという人間が垣間見える作品です。よくあるパターンの物語ではなく、よそから拝借した世界観で繰り広げられる物語ではなく、あなたが真剣に考え描き出した物語を求めています。もしこの考えが気に食わないというのでしたら、どうぞ他の出版社からのデビューをお考えください。現在、新しい出版社があちこちにあります。あなたの望む出版社がどこかにあるでしょう。

 ただ覚えておいて欲しいのは、「いつも柳の下に泥鰌は居らぬ」ということです。「今人気があるジャンル」「今はまだ大丈夫」でも、来年はわかりません。10年後、あなたが今書いている作品は読まれるでしょうか? 50年後、100年後、どうなっているでしょうか? あなたの作品は後の世に残るのでしょうか?

 商業出版を目指している作家様は是非一度考えてみてください。あなたはどのような作家になりたいですか? 今だけ売れる作品を書く作家になりたいのでしょうか? 長く読まれる作品を書きたいのでしょうか? それとも、古典に分類される『ライトノベル』を執筆したいのでしょうか?

 以上が、天宮さくらが考える『ライトノベル』の未来です。

 本コラムが創作者の希望と出版界の発展、そして読書を通じて豊かな人生を歩むきっかけを提供できたら幸いです。

【おまけのボヤキ】

「なろう系」について語るのなら、Webで小説を公開した後商業出版した作品の系譜、Web小説投稿サイトの出現、その中で「小説家になろう」の立ち位置、読者評価の傾向を踏まえた上で議論するのがいいのかな、と思います。個人的感想は他者を説得できないかと。

それと、私のペンネームをゲームから拝借したと勘違いされた方がいらっしゃるようです。私のペンネームは好きなアニメと漫画のキャラクターから拝借しました。これを機に認識を改めていただけると幸いです。