所感
コンテスト参加者の皆様、二月度のご応募ありがとうございました!『二月は逃げる』という言葉があり、時節は既に三月。降り注ぐ雨にもどこか暖かな春の気配が感じられます。このような忙しい時期にもかかわらず、今回も沢山のご応募ありがとうございました! ひと月経過しましたのでクオリティが高くまとまっている作品が多い印象であり、選者としては嬉しい悲鳴といったところです。
また、今回のコンテストは『伝統的なファンタジーの文脈で』という方向性はあるものの、実質その範囲は広く、高品質なものは積極的に是として取り上げさせていただいています。というのも、現在(2025年3月3日現在)、Xで幻想小説・幻想文学の話題が少し俎上に上っているのが確認できたからです。
幻想小説、文学も素晴らしいものが多いですが、小説文化の大衆化によってこれらコンテクストはwebの小説界隈とはだいぶ乖離が見られており、コンテクストの格差のようなものがだいぶ見えている世相です。当コンテストはこのような硬直した格差を攪拌する意味合いもあり、また実際に応募作品群の可視化でコンテクストのグラデーションが垣間見え始めており、改めてその手ごたえを感じている状態です。
何かと忙しない三月に入りましたが、引き続き皆様のご参加・ご応募お待ちしております。
※なお、今回は名興文庫 代表 尼宮乙桜氏の作品にも言及していますが、これは寄稿であり、コンテストそのものからは選考外となります。
一次選評
*順不同・敬称略とさせていただきます。
『原初の神が口ずさんだ歌の変遷について』|尼宮乙桜
世界とは時に歌そのもの。その変遷と終焉の物語ですが、歌い手は女性だったのでしょうか? 私たちの宇宙もその終焉はとても冷たいものという仮説がありますが、そんな雪の降りしきる世界にたたずむ彼女に、会いに訪れる者が現れ、ほの温かな結末となる物語です。
『運命の神と花を育てる少女』|朧塚
とある世界の運命の神たる存在の、永い永い旅での一つの出会い。戦争を司る彼が見出したのは、無意味の中にある意味に等しく、それは全てに意味があることを意味し、いかなる運命も希望に連なる可能性がある事を垣間見た瞬間と言えるかもしれない。秀逸な統一感とバランスの感じられる物語。
『黒竜と画家』|朧塚
長命種族が見守る、命が短くとも受け継がれてゆく人の営みの物語。私たちの世界では絵画や書籍くらいしか残せないが、ファンタジーであればそうとは限らず、少しだけ孤独感から解放されるようなわずかな安堵を感じられる瞬間があります。ただ、病名の扱いは少しもったいないかなとも感じられました。
一次選評:Creative Writing Space掲載作品
*順不同・敬称略とさせていただきます。
『終末鳥』|天方セキト
人の行いの因果が変えてしまったものは一見、表層のようでいて、おそらく人が思っているよりは簡単には戻らない因果が表現されている物語。些細な事でも目に見える影響が出て来た時には、既に取り返しがつかない状態になっている事は多く、おそらくその時でもまだ人は無知かつ傲慢であり、その断片が垣間見えます。
『朱碧珠の泪』|理乃碧王
人々の価値感というものは、実の多くの場合、虚構であり、これは政治などの社会構造や通貨でさえもその性質を持っています。つまり全ては無常なのですが、まさにそれが語られるラストが秀逸です。真なる価値は無垢な目に映るもののみかもしれません。
『侏儒』|称好軒梅庵
本来のゴブリンやレッドキャップのような不思議な侏儒。短いながらも明らかに私たちの世界と似て異なる日常は、細部のリアリティが幻想性と笑いをもたらしています。彼らのいる世界の日常はきっと私たちのそれより油断がならず、そしてコミカルなのでしょう。
『龍の冬、来たれり』|吾輩はもぐらである
人の時代の終わりと、おそらく龍の時代の再来の物語。筆者の一連の物語世界の一つであり、他のエピソードとの関連が見えます。ファンタジーの良い所の一つには、我々人間が必ずしも万物の霊長ではない世界を想像できる事です。果たして龍の冬は何をもたらすのか?
『その日暮らしのアニス』|NO SOUL?
一見、ライトノベル的な部分は多く見えますが、世界と人物の相関はしっかり表現されており、背後に大きな世界が見え、人物の物語の断片にはとどまっていません。私たちもまた奇跡的な出来事の末に存在して日常を送っていますが、別の世界の当事者たちとしてはこんな感じであろう物語であり、これはファンタジーの基本でもあるのです。
『真説・宇宙世紀…見果てぬ夢』|トーマス・ライカー
コールドスリープというSFのギミックが用いられながら、語られるのは壮大な魂の循環の可能性を垣間見た普遍性の物語。ファンタジーは、幻想は、時にいたるところに存在し、そこに自らの魂を感じる瞬間はあるものです。これはそのような物語でしょう。
『蜃気楼』|百彪
蜃気楼という言葉の語源は蜃の出す霧が作り出す、という伝承があり、このコンテクストを知っているとより面白さの増える秀逸な短編。しかしそれだけではなく、冒頭の引用と作中の隧道の描写は、修験道などの山登りと同じような生まれ直しを経つつも、失われてはならない何かを残す幽世の物語とも読み解ける幻想性あふれる物語です。
『雷鳴の王-砂の都-』|百彪
モチーフはメソポタミアか? おそらくは奔放に等しい在り方だった主神のような存在の、人の身としての旅の始まり。神話の終わり、人の時代の始まりは時に神の零落であり、黄金時代の終焉であることが多い。この物語のポイントは、その疑問を本人が呈している事である。